東日本大震災から13年の振り返り5

●2012

・1月:付き合って3年、入籍した。寒い雪が舞う日だったことは覚えてる。結婚式準備、シフト制の仕事でバダバタの中だった。あ あれから12年。記念日には毎年、美味しいものを食べる約束は果たせている。

・2月:長男の妊娠がわかる。ハワイへの新婚旅行キャンセル。妻から話を聞いた時びっくりし、ハワイ中止も残念だったが後悔なし。そして、12年後の今年、その時産まれた長男+2人の子どもたちとハワイ旅行予定。家族ならではの楽しみをしたい。

・3月:11日は親友と飲む。2週間後に結婚式。あんなにもみんなが祝福してくれて、うれしく楽しく時間があっという間に過ぎた日もなかった。全曲ミスチルを妻にお願いしたり、ウェディングケーキは桜型で味付けも桜クリームで仕上げてもらい自分たちらしさは出せた式で生涯忘れない1日になった。

・6月:ミスチル結成20周年ライブで名古屋ドームへ。ライブ内容より、名古屋は東京と比較して地下鉄駅の1区間が長く歩くという選択をして、身重の妻に無理させたという記憶が残った旅行。

・10月:長男誕生。妻の陣痛に備えて1ヶ月禁酒したことは後にも先にも長男の時だけ。出産立会いも長男だけ。血をみて痛みに共感して、分娩室で倒れた失敗つき。この子が生まれて自分の人生がどれほど充実したものになったかは計り知れず。

●2011

・3月:11日、職場で被災。必至に夕食準備して提供。友人と約束をしていたので、信号も止まっている真っ暗な道を帰宅。真っ暗な中アパートの中、ガスコンロを使って闇鍋。ひとりでなかったこと、アルコールも入っていたことが手伝って不安はなかった。

翌日も出勤。被災しながら仕事に全員出勤して、ひとのご飯を作る。自分のまわりは素晴らしい人が揃っていると思った。この日は、友人宅へ行き飲んだような気がする。

・4月:当時付き合っていた妻を初めて、実家に連れて行き、結婚の意思を両親に伝える。親は喜んでいたのだろうか。

・9月:ミスチル日産スタジアムライブツアーへ参加。DVDを見て、いつかはこの会場でライブに参加したいと思った夢を実現。夏の夜、野外スタジアムは心地良かった。

・10月:大学時代の友人達と広島旅行。幸いにもだれも大きな被害は受けなかったからできた旅行だった。

・ほか:結婚式準備や、計画停電の中で必至にやりくりして仕事をしていた時期だった。

#大震災からの振り返り

東日本大震災から13年の振り返り4

●2015

・長男2~3歳、長女0~1歳。ただただ、子供中心に生活していたように思う。長男の保育園発表会で主人公をやっていた時は驚いたとともに感動。妻がシフトの仕事だった当時は、休日は近くの公園に散歩していって、遊具で遊ばせて早めに寝かせるみたいなことをやっていた。朝、長男を肩車して散歩したり、電車見せに行っていたのもこの時期か。一度だけ父母に預けてミスチルライブにニッサンスタジアムに行ったっけ。親も頼れるくらい元気だった。現在は父の体力を考えると不安。

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・4月:弟結婚。結婚式に参加するために家族+父と北海道に先乗り。あれだけ一緒に出歩くことが嫌だった父をあえて一緒に行くという選択をするようになった自分。子供が自分の考えを変えてくれたのだろう。この時の結婚式に参加した親族は祖父母、叔父2人叔母2人。これから約10年。祖父、叔父1人、叔母1人が亡くなった。小さい頃よくしてもらった人がいなくなのは寂しい。年をとるってこういうことなんだろう。

●2014

・3月:記憶は薄いが、震災から3年。一生懸命生きなきゃと振り返りをしながら、近所に住む親友と飲んでいたのだろう。

・8月:親友の結婚式で友人代表のスピーチを頼まれる。良いスピーチだったと周りに褒められる。

・9月:長女誕生。長男の誕生時の立会い出産の失敗をいかして立会いせず。女の子が生まれてうれしかった。自分が女の子を持てるなんて想像もしていなかったし。

・10月~11月:妻が長女出産に伴い実家に一か月程度帰省。その間、長男の保育園の送迎補助やこもりの補助のため父と共同生活。楽しそうな父と、じじと喜んで遊ぶ長男を見ることが幸せだったように思う。夜、近くの蕎麦屋に親子3代で行ったことも良い思い出。

●2013

・1月:5年11カ月働いた会社を退職。子供が生まれたと同時に長距離の職場に異動。タイミング、環境と当時の自分には最悪だった。片道50分~60分。その分、別のことに時間を使えると部長に伝えた時に、自分もそうだとか、都内では普通だという返答。それに対し、価値観の違いとここは都内じゃないぞと心の中でつぶやいた。

・2月:新しい職場へ。仕事が無い、まわりに必要とされないことの辛さ、孤独を体験。あれだけ辞めたくて辞めた職場が恋しくなったことも。隣の芝生は青く見えた。理不尽に怒鳴られた先輩に怒鳴り返したり、仕事をつくるために他部署、院長、副院長に必死にPRした時期でもあった。他にも現在の理想とする週4常勤、週1別の職場のイメージができたり、多くのことを体験させてくれた管理栄養士との出会いもあった。

・3月:11日前後は親友と飲みながら、生き方などについて語り合っていた。

東日本大震災から13年の振り返り③

●2017

・1月~3月:自分の仕事で、給料以外の収入を得たくて必死で動いていた時期。新しい人に会ってつながり作って、仕事終わった後勉強会参加、地域の舞台でプレゼンテーションしたりと今では信じられないくらい頑張ていた時期。ただ、この時の頑張りが次の職場につながり、さらには現在の職場となっている。行動することが人生をとても動かすと学んだ一年だった。

・5月:父と相撲観戦に両国国技館に行って参加できなかった前撮り動画もめちゃくちゃ笑った。そして長男は、妻が寝ている間に自分の髪の毛を切って、虎狩となり坊主にされていたことにも驚いた。

・6月:弟夫妻に子供が生まれ、お祝い兼ねて家族と父・母みんなで旭川へ。旭山動物園富良野なんか行ったことのない地域を楽しんだ。弟たちとこうして家族交えて楽しむ時が来るとは。お互い成長した。

・空を飛んでみたいの気持ちに忠実に、熱気球クラブにも所属していた時期。実際に気球に乗って、遊水池周辺の空を飛ぶことができた。気球が膨らみ、乗り込んで地上から浮かびあがった感覚は興奮した。

・11月:長男・長女の七五三。写真で振り返ると長女は顔がパンパンでまん丸だ。タオルかんで寝る癖もこの頃あったけど、いつの間にやらなくなったな。5月の

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●2016

茶臼山、上野、多摩、宇都宮、かみね、ズーラシア東武など動物園によく行った一年。子供が小さいうちしか一緒に楽しめない場所。

・5月:新築完成、引っ越し。人生で大きな買い、ただ想像以上に自分の中で心のモヤモヤを生むことに。毎週のように飲んでいた友人とも会う機会が激減。自分の考えの浅さが大きな失敗を招く。それでも、引っ越したことで仕事を外で広げようという意識が働き世界が広がった。そして、現在の気に入った立地にある自宅を手に入れることはできなかった。必要な失敗だったかもしれない。

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・12月:石垣島に。普通に沖縄本島ではなく、少し違った環境に行ってみたかった。飛行機からみた海、実際に見た海の奇麗さは現在も忘れない。島の大きな公園で遊んだことも子供が小さかったあの時だけだったろうな。

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東日本大震災から13年の振り返り②

●2019

・2月:家族で台湾へ。初の海外。長女の薬探しで、台北動き回ったり、大きな動物園、居酒屋、屋台、必死で英語でコミュニケーションとったりと楽しく、刺激的だった記憶しかない。

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・3月・長男卒園、4月小学校入学。:赤ちゃんがここまで成長したことは感動もん。彼が生まれて、自分の人生観が変わったと思う。子供がこんなにも可愛いと感じるとは想像していなかった。

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・春:自宅売却を決断。自宅は快適だった。でも立地、地域に不満が募る。職場からの帰宅のたびに、もともと住んでいた地域をとおると、今なら自宅に着いていたとか、散歩する度に、前の自宅周辺だったらとモヤモヤ。そのまま気分で生涯過ごすのは嫌だと思い決断。妻には迷惑かけました。入学したばかりの長男にも迷惑かけました。それでも、後悔なし。今となっては英断だったと思える。

・6月:じいちゃんが死ぬ。小さい頃の思い出があって、その感謝の気持ちがずっとあって帰省の度に顔見せていた。そのじいちゃんがいなくなった。さみしい気もするが、やることやってひ孫見せることもできた。悔いはない。

・8月:父、息子と富士山へ。父の山登りたいと小さな頃いわれ一緒に行かなかったので、ここで叶えたつもり。いま考えると、父が病気してこれが最後になったかも。

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・9月:栄養士会研修で高知へ。知らない人だらけの場所への参加だったがうまく馴染めた。かつおもうまく、その後に付き合いのある人間関係ができた。

・11月:引っ越し。自宅購入前の場所へ4年半ぶりに戻る。アパートになったけど、それでも良かったとしか思わず。

・長男:サッカー少年団入団。これが自分にとっての楽しみにも。

●2018

・2月:伊豆旅行。妻は妊娠中で家族4人で最後の旅。

・3月:次男誕生。望んでいた3人の子供に恵まれた。

・4月:短大勤務開始。休日に不安過ぎて、プレッシャーに負けてクラクラしたことも。

・6月:前職を退職。正式に短大へ。慣れは出てくる。

・9月:石川旅行。のとじま水族館でじんべいざめ見て、能登で1泊。6年後の正月に能登が大地震に見舞われるとは夢にも思わず。人生何があるかわからない、あの訪れた先も何もないのかもしれない。

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・子どもの誕生日に合わせて、スカイツリー上野動物園、石川旅行なんかいろいろ動き回っていた。親孝行のために両親との行動も少なくない。次男は赤ちゃんのうちから動きまわって

いる。長男とは大違い。f:id:djszr:20240323053459j:image

 

 

東日本大震災から13年の振り返り

先日放送された、NHKの「あさいち」特集を視聴して、直接被災された親子の13年間をみて涙した。そして、自分の歩みも記録に残しておこうと思った。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024031126823?playlist_id=3d0dce3d-0324-4e91-b0b0-2f5657d6dd31

●2023年

・2月:ベネチアへ一人旅。一人でもヨーロッパ行って、いろいろ見て帰って来れる力があることがわかった。一人でできることの幅が広がった。この行動を許してくれる妻に感謝。

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・4月新しい職場へ。4年前の行動が今につながるとは。行動するって重要だと感じる。

・8月:小学校150周年記念事業実行委員会として校庭での「夏祭り」を成功。周りに流されず自主的に手を上げ参加。ひとりひとりが一生懸命にやると仲間ができることを実感。子どもたちに親の頑張る姿を見せることができたと思う。

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・12月:長男、長女が2人だけで新幹線利用して長野の祖父母宅へ。親の方が心配だったが、無事行くことができた。着実に成長している。

・週末の楽しみは、息子の少年サッカーの試合。成長と応援がとても刺激的。

●2022年

・コロナが少し落ち着き、夏・冬の実家へ帰省。いとこ、じじばば、おじと楽しむ子供たちの遊んでいる姿をみることが幸せ。

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・5月:ディズニーランド、10月:沖縄本島へ旅行。行先は自分が決める。妻に求めると意見を言わずイライラの原因になることを発見。

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・勤務先の閉学が決定。5年間の在籍だったが、転職に後悔なし。他の職場では体験できないようなことはいっぱいできた。管理栄養士になって教員やるとは夢にも思っていなかった。

・少年サッカーにある役割が心地よくなる。

●2021年

・3月:駅近くに物件購入。前回の失敗を生かし立地で判断。家族が快適に感じてくれればそれで良い。

・4月:長女小学校入学。馴染めるか少し不安だったが杞憂に終わる。

・春:運動会練習を繰り返す子どもたちを微笑ましくみている。

・8月:coconaraで稼ごうと資料作りに精を出すも実らず。稼ぐことが難しい。

●2020

・コロナ拡大。緊急事態宣言で小学校登校できず。隙間みて自宅周辺を散歩。

・幸運にもコロナの被害は仕事などは受けず。gotoトラベル利用し、ハワイアンズ、松島旅行したり、物件探しを実施。

 

#自分 #振り返り #日記 #震災から13年

 

プロになるだけがサッカーを仕事とすることではないよ。

「将来、何になりたいの?」と聞かれれば、迷うことなく「サッカー選手」と答えていた。それだけに、昨日の中学行ったら部活かクラブチームどっちに行くか迷っていること、その理由が「クラブチームだと試合に出れないかもしれない」からという発言には少し驚いた。

一年生からやってきて、サッカーの試合を重ねた五年生になって自分が見えてきたこと、昨日のトレセンで、初めて市内のトップの子たちと一緒にサッカーをやったことで、自分より上手い子たちを肌で感じ敵わないと思ったかはわからない。

現時点の自分を知るには良い機会だったかもしれない。まだまだ、五年生。将来の可能性はいくらでもある。体は小さく、今後体がまわりに追いつけばサッカー選手になれる可能性はゼロではないかもしれない。ただ、中学生で部活かクラブチームを選ぶかはひとつの分岐点になると思う。

そして、プロを諦めたとして、サッカーが好きならプロになるだけが全てじゃないし、サッカーを仕事にする方法は多くあることを知って欲しい。プロを育てる指導者、スポーツドクター、リハビリスタッフ、外国人監督の時の通訳、スカウト、管理栄養士、プロチームの広報や事務局などなど、まだまだ親が教えることのできない仕事はたくさんあるはず。幅広く、物事を見て、気づいて、調べて、行動できるようになって欲しい。

とても強いチームではないけれど20人近くいる中で10番つけて、来年度はキャプテンを任されるだけですごいと思うぞ。チーム代表として、知らない子に混じって臆せずトレセンの選抜試験に行ったことだけでもすごいことだし、とても価値はあること。

サッカー上手い子はいくらでもいるけど、全員がプロになれるわけではない。運も必要。だから自分を卑下せず自信を持って、残りの少年サッカーを楽しく頑張れ。

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#子育て #父親 #少年サッカー

やってみて自信をつける

子どもたちは昨日から冬休み。

小学5年生の長男、3年生の長女は暮らしている栃木県から、祖父母の長野県まで新幹線で、自分たちだけの移動にチャレンジ。

小学生には、ちょっとした冒険。

親の自分たちも、ちゃんと乗り換えできるか?指定席を判断して座れるか?

「行けるよ」と余裕を見せながらも、正直不安はぬぐえない。

結果としては、予定通りの新幹線に乗り換えもできて、無事に祖父母に会えた。

子どもたちは確実に成長して、ものごとを判断して動けることが出来るもわかった。

長野に到着したあとの、子どもたちからのメッセージ。

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こんな言葉が、子どもから出てくるとは思いもしなかった。

今回、子どもたちだけで行かせて良かったと思う。人生、何ごともチャレンジ。否定よりも、まずはどうすればできるかを考えよう。

そんな、毎日の方が絶対楽しいぞ。そんなことを、感じてもらえると素晴らしい体験になるだろうと、父親は思う。

 

#子育て #父親 #成長