東日本大震災から13年の振り返り4

●2015

・長男2~3歳、長女0~1歳。ただただ、子供中心に生活していたように思う。長男の保育園発表会で主人公をやっていた時は驚いたとともに感動。妻がシフトの仕事だった当時は、休日は近くの公園に散歩していって、遊具で遊ばせて早めに寝かせるみたいなことをやっていた。朝、長男を肩車して散歩したり、電車見せに行っていたのもこの時期か。一度だけ父母に預けてミスチルライブにニッサンスタジアムに行ったっけ。親も頼れるくらい元気だった。現在は父の体力を考えると不安。

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・4月:弟結婚。結婚式に参加するために家族+父と北海道に先乗り。あれだけ一緒に出歩くことが嫌だった父をあえて一緒に行くという選択をするようになった自分。子供が自分の考えを変えてくれたのだろう。この時の結婚式に参加した親族は祖父母、叔父2人叔母2人。これから約10年。祖父、叔父1人、叔母1人が亡くなった。小さい頃よくしてもらった人がいなくなのは寂しい。年をとるってこういうことなんだろう。

●2014

・3月:記憶は薄いが、震災から3年。一生懸命生きなきゃと振り返りをしながら、近所に住む親友と飲んでいたのだろう。

・8月:親友の結婚式で友人代表のスピーチを頼まれる。良いスピーチだったと周りに褒められる。

・9月:長女誕生。長男の誕生時の立会い出産の失敗をいかして立会いせず。女の子が生まれてうれしかった。自分が女の子を持てるなんて想像もしていなかったし。

・10月~11月:妻が長女出産に伴い実家に一か月程度帰省。その間、長男の保育園の送迎補助やこもりの補助のため父と共同生活。楽しそうな父と、じじと喜んで遊ぶ長男を見ることが幸せだったように思う。夜、近くの蕎麦屋に親子3代で行ったことも良い思い出。

●2013

・1月:5年11カ月働いた会社を退職。子供が生まれたと同時に長距離の職場に異動。タイミング、環境と当時の自分には最悪だった。片道50分~60分。その分、別のことに時間を使えると部長に伝えた時に、自分もそうだとか、都内では普通だという返答。それに対し、価値観の違いとここは都内じゃないぞと心の中でつぶやいた。

・2月:新しい職場へ。仕事が無い、まわりに必要とされないことの辛さ、孤独を体験。あれだけ辞めたくて辞めた職場が恋しくなったことも。隣の芝生は青く見えた。理不尽に怒鳴られた先輩に怒鳴り返したり、仕事をつくるために他部署、院長、副院長に必死にPRした時期でもあった。他にも現在の理想とする週4常勤、週1別の職場のイメージができたり、多くのことを体験させてくれた管理栄養士との出会いもあった。

・3月:11日前後は親友と飲みながら、生き方などについて語り合っていた。