がん哲学外来学会に参加して

本日、第10回がん哲学外来学会に参加。昨年は存在すら知らない学会。

週末の楽しみである少年サッカー練習を休んでまで来たかいはあったと思う。

その理由は、在宅で食支援をしていく意味を少しだけでも見出せたから。いのちを例えた、ロウソクの長さは違っても輝きは同じ。はじめでも、終わりでも皆輝いている。そして突発的に消えることもある。だからこそ、今を生きることに意味がある。

『「いのち」=「自分の与えられた時間」

その「いのち」を他人の「いのち」に使ってみる、これが生きること。』特別講演の元小児科医で、現在お坊さんの倉松先生の話。

今まで偶然にも、親や周りに恵まれて、金銭的不自由なく、大病することなく、だいたいのやりたいことをやってこれた。今は家族にも恵まれている。

 自分のいのちの使い方は二つ。

 一つ目は、親に大金を出してもらって栄養学校に行かせてもらって、親に直接恩返しではなく社会に貢献すること。

それは、今少しでも困りごとのある人のためになることをすべき。じゃあ何ができるかといったら、栄養と食事の勉強してきた経験生かして、やってる人が少ない分野で頑張ること。稼いだお金の一部を、ユニセフなどで生まれた環境により恵まれない人を支援する団体に寄附すること。

二つ目は、自分の子どもを含めて、多くの子どもたちの成長に関わること。

子どもにはものより経験を意識する。

スポーツ少年団、PTA、自治会と関われることには積極的に関わりを継続。自分がではなく、子どもがを主語に、できるorできないではなく、どうしてやりたいかを考える。

 本当に最近は、こんなことばかり考えている。ただ、今日の講演を聞いて、少しその答えが持てた気がした。

 

最後に、限りあるいのちを精一杯生きた小学4年生の作文を添付しておく。この文は、同じ小4だけど、うちの子じゃあ絶対書けない。それだけ、限りがあるのがわかり、短い時間に多くのことを吸収したということだろう。

http://www.naracity.ed.jp/heijounishi-j/index.cfm/11,151,c,html/151/20170110-213418.pdf